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乾鳳寺敷地

金剛山麓に位置した、いにしえの面影を伝える、乾鳳寺
 
 
巨津邑冷泉里の南側に位置する乾鳳寺は、新羅法興王7年(世紀520年)に阿道和尚が圓閣寺として創建した後、高麗恭愍王7年(1358年)に翁和尚が乾鳳寺を修造して、世祖大王が願堂に定め御室閣に建立した韓国佛敎の聖地で禪敎両宗の大本山として指定され、今の新興寺、洛山寺、百潭寺が全て乾鳳寺の末寺であった。
金剛山乾鳳寺は壬辰倭乱の時、「泗溟大師」が僧兵を集め蜂起した国難克服遺跡地であり、万海の韓龍雲先生がここで僧侶生活をされ「乾鳳寺誌」を著述し、鳳鳴学校が建てられ日帝下の民族思想の啓蒙教育の求心にもなった。
特に、新羅時代に慈蔵律師が堂から持ってきたお釈迦さまの真身歯牙舍利を通度寺に奉安したのであるが、壬乱の時、倭兵が強奪して行ったものを泗溟大師が日本から再び持ってきてここに奉安した。世稱韓国4大寺刹に成った766間の伽藍が6.25動乱で全焼され、民統線北方で4月の8日に限り解放されたが政府と軍部隊の協助で89年1月30日付けで35年ぶりに自由入出が許容された。